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COLUMN

10-week series of morning Yoga 変化の中で*

without a judge|ありのままを見つめる


たった一週間でも、人の気持ちや状態は驚くほど大きく変わることがあります。

さらには、一日、一時間、一分、一秒でも。


ずっと続くと思っていたことは続かなかったり、

意外なことが始まったり。


そんな変化があることは自然なこと。

言い換えれば、自然=変化があるのは当たり前のこと。



それでも、、、

どこかで自分に起こることや人生をコントロールしたかった、

いや、ある程度コントロールできるものだと思っていた自分に気付いた一週間でした。


(とくに想定外のことが起こったとき)判断することなしに、

今ここのありのままを受け止めるということがこんなにも難しいことなのかと、

身に沁みて感じたのです。



同時に、だからこそヨガや瞑想を通して、

ニュートラルな自分に戻る時間の大切さを伝えていきたいんだという出発点にも戻りました。

最後に引用したインテグラル・ヨーガにもあるように、

ヨガにおいて、本当の自由は“自分自身の統御”であると考えます。



人生は行動することによって変わっていきます。

“現状を受け入れる→また新たな一歩を踏み出す”というステップに注目すると、

まずは“受け入れる”フェーズにスムーズに入れるかが重要。

受け入れられたら、ちゃんとリセットできるし、きっとまた頑張れるはずなのです。

(それだけの力をすべての人が持っていると信じています。)



私の傾向としては、“怖い・恐れ・恐怖”といった感情に向き合うのが苦手で

無意識に“考えたくない”という気持ちが働いて、気を逸らすための行動をし続けてしまう癖があります。

まさに、感覚に心が引っ張られている状態。


“なぜそう思うのか?” “本当は何が怖いのか?” 知ることは、決して怖いことではなく、

知らずにいることの方が、怖いこと・自分を傷つけていることなのかも、、、

と教えてくれた今回の経験。自分の宝物にしたいと思います。



Off-the-mat, On-the-mat という言葉があります。

自分を知り、自分と向き合い、新たな行動に繋げること。

ヨガの教えは本当に終わりがない、

人生が進む度に本当にたくさんのことを気付かせてくれると改めて感じたのでした。

Namaste*



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“SVA VISHAYASAMPRAYOGE CHITTASV ARUPANUKARA IVENDRIYANAM PRATYAHARAH.

諸感覚がその対象から自らを撤退させ、いわば心そのものを模倣するとき –

それがプラティアハーラ[制感]である。” by Swami Satchidananda

II-54

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“TATAH PARAMA VASYATENDRIYANAM.

それにより、感官に対する無上の統御が得られる。” by Swami Satchidananda

II-55

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プラーナーヤーマによっても心はまだ完全な適正には至っていない。

そこには心をあちこちへ引っぱろうとする他のもの、すなわち感覚があるからだ。

それらが常に心に語りかける、・・・われわれはこれらの騒々しい感覚に対して、

よく手綱を引き締めてやらねばならない –


心が感覚対象から引っ込むと、感覚器官もそれぞれの対象から退く。そしてそのことが、

“心を模倣する”と言われるのである。– 感覚は、外を向くことを許されると、外界を把握し、

描こうとする。だが内に向けてやると、心の純粋性を見て、外界の色をとらない。

感覚は鏡のようなものである、すなわち外向きにすると外を映し出し、

内向きにすると純粋な光を映し出す–。

それら自身は無垢である、だが外を向くことを許されるとどんなものでも惹きつけて、

それらのメッセージを心に伝え、それを落ち着かなくさせる。

そして内に向けてやると、心そのものの形をとることによって安らぎを見出す。・・・

“聖なるもの”に集中すると心がその形をとるのはそのためである。心がそれを保持していると、

それは夢の中にまで現れる。

感覚を制御することができれば、われわれの望む形だけをとらせることができるのだ–

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・・・感覚を満足させてしまえば、一時の楽しみは得られるだろうが、後でもっと大きな落胆が訪れる。

統御によって得た喜びは、一時的な喜びよりも長く続く。われわれはすべて、主人となるべきである。

それが本当の自由であり、真の勝利である。どんな人でも、自分自身の心と感覚から自由であれば、

その人を縛ることのできるものは何もない。その人は本当に自由である。国家権力も、独裁者も、

けっしてその人を縛ることはできない。その人は何も恐れない…


そしてそれは、少数の人々だけの特権ではない。それはすべての人々のものである。しかし、

われわれはまず、自分自身の統御を確立していかなければならない– 心にけっして後戻りを許すことなく。

もしわれわれがそのような統御(コントロール)を得たなら、欲することはどんなことでもできる。

そして内なる平安と喜びを見出すことができ、それと同じものをすべての人々と分かち合うことができる。

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